三巨頭&双子座兄弟+α in 久米島旅行記

狂乱のお間抜け遊戯から一夜明けて朝。
今日も引き続き一日お間抜け遊戯だ!

早朝遊戯編

何故か朝早くはこいつのカットが多い。

何だか朝の弱そうな顔だ。

断じて溶けてなくなったりはしないが、

今日はちゃんとネグリジェをお召しになっている。

外では未だに風がうなっている。

本日も曇天なり。
ダイビングショップの天気予報では今日も雨でした。

朝ご飯は9時30分までに食べないと喰いっぱぐれてしまうが、それ以外は一日フリーだ。
ベッドでうだうだするも自由。
『………』
今日はジャージだ。

今日も寒いなあ。
でもお腹に何か乗っている。
『何か冷えるなあ…』
エアコンを掛けているに拘らず。

…………。

特に下半身が。

今日は珍しく洋服だからと、何つう破廉恥な姿。

ラダマ(…頼むからパンツをはかせて欲しいのだ…)
全くだ。

破廉恥遊戯も程々に、

雨も時々ぱらついていましたが、時折雲間から日が射していました。


結構幻想的。
こんな景色がぬくぬくと窓から見られる。
それがリゾートホテル。

で、

ミーノス様、カフェラテを嗜みながらぬくぬくと景色を堪能。

…の、傍らでは、

ラダマ『食パン焼けたでぇ』
APラダ『…しまった、バター買ってくるの忘れた』

昨夜に続き貧乏臭い家庭的な朝食風景を繰り広げていた。

久しぶりだなラダ一家。

海龍カノンのカロリーメイトも大概だが、

そりゃ驚くわな。

これはある意味究極系だ。

ミーノス『何だその有様は!恥を知れ恥を!朝食ならビュッフェがあるだろうが!』
最早、同じ巨頭と言うだけで恥ずかしい。


ビュッフェの図。

何でミーノスか怒っているのかさっぱり分からない。

『……すまんがミーノス』


APラダ『…パッチンプリンは3個しかないんだ。気持ちは分かるが諦めてくれないか』
ミノ『そっちかよ!』

一方、

こっちはしっかりやられていた。
『………』

ともかく、いろいろと突っ込みたいところもあるが、

冥闘士サガ『…全く。変態っぷりもほどほどせんか』
ネグリジェ男に言われる筋合いは無い。

変態どもはさて置いて、

『うはははは!相変わらずカリカリしておるなミーノスの奴!』
定番の朝食カロリーメイト遊戯。

そして、曇天を仰ぐ。

『うはははは!待っておれ久米島の海よ!明日こそ泳いでやるわ!』
本気ですか…。

こいつは焼きそばドッグとコーヒーだ。

双子座カノン『…朝からうるさいぞバカノン。朝飯ぐらい静かに喰え』
全くだ。

久米島周遊観光 奥武島畳岩編

と、言う訳で朝食遊戯も程々に、またしても島内観光ドライブだ!
何故なら、それしかないからな!

今日も壮絶運転で行こう。
ジャージからお着替え。
『…頼むから鬼籍に入る真似だけは止めてくれよ…』

ところでその格好なんだけど、

アイコ『ぎはははは!何だお前その格好!どこのチンピラだ??』
APラダ『やかましい!管理人の趣味だ!』
何だか『クローズ』みたいでかっこいいと思っていました。その時は。

チンピラ遊戯も程々に、島内観光に出発だ!
今回は宿を起点に島内を逆時計回りに回ってみたいと思う。
ただ道路をぐるぐる流されるだけから目的地を設定できるようになったみたいだ。
大した進歩だ。

まずは、久米島と島で繋がっている奥武島から攻めて見る、

奥武島の図。未だに島と言う実感は無い。

で、奥武島に何があるのかと言うと、バーデハウスと…
まんまな看板。
…そう、畳岩だ。

久米島のガイドには必ず載っている畳岩。取りあえず行ってみた。

四年前の竹富編を思い起こす程の申し分ない曇天だ。
オマケに寒い。

対岸にイーフビーチを臨む。

で、畳岩。

…亀甲状なのに何故に畳岩?

閑散期に曇天なのでこんなのが涌いて来る。

『…亀甲岩では語感が悪いのだろう』
そんなものか??

俄地質学者の登場だ。

『畳岩と私』
どの辺りが畳岩なのかさっぱり分からないが。


『誰が俄地質学者だ』

ちょっとピンぼけだが、

被写体もピンぼけ、背景もピンぼけ。
ともあれ、亀甲状の岩を暫く眺めて畳岩を後にする。

久米島周遊観光 ゆいまーる館編

寒風に吹かれながら亀甲岩を眺めた管理人、ウミガメ館とかは軽ーくスルーして真謝にある久米島ゆいまーる館へと向かう。
ゆいまーる館とは島の伝統工芸品「久米島紬」を製造する工房で、絣括りや染色、機織りの工程が見学できたり、歴史資料や作品の展示コーナーがある。
余程のことが無いとスルーしてしまう場所であるのは確か。
ちなみに管理人は呉服屋で紬や大島に興味があるので入りたかったのだ。

…の、前に、

近くにこんな景色が広がっていた。

風は強いけれども、曇天ならではの風景と深み。

こう言う土地で紬は染色されているんだなあとしんみり。

それにしても忌々しい程風が強い。

『冬なのだ。致し方あるまい』
あ、一月だった…。


『真謝と私』


写真では何だこりゃだが、『花咲く旅路』を聞きたくなるような風景だった。


…風がもっと穏やかだったらな!


背景は思いっきりサトウキビだが。

で、気を取り直して、

ゆいまーる館だ!


入り口の締め縄が泣かせる。
ああそうだ、つい最近まで元旦だったよなあ…。

で、さくっと入場。だが、折しも正午だったので伝統工芸館の職員は食事に出て制作行程は見学できないですよと受付のお姉さんに軽くあしらわれる。
ともあれ、展示だけでも見たいので200円払って中へ。

で、さくっと退館。
館内は撮影禁止だったか監視があったかそんな気がしなかったのか取りあえず写真は撮って来ていませんでした。

『…何と言うか、なかなか壮絶だったぞ…』
館内のビデオ解説によると、かつて久米島紬は明治維新まで薩摩藩に献上されており、島の娘達は昼夜を問わずこの紬を織らされたんだそうな。

そう、伝統工芸ですが現地の人は着ることを許されなかったのですよ。
ある娘が切れ端を自分の着ている服の当て布に使ったところ、役人に見つかって百叩きの刑に遭い、その後娘は死んでしまったなどの話が伝えられていました。
『ああ野麦峠』状態だ。

八重山の人頭税、太平洋戦争の沖縄戦もそうですが、これも沖縄の一つの側面です。

重税を敷かれていた時代も理不尽だが、
感想を報告するポンチ担当。
『紬の制作行程があんなにも複雑とは…。何故、紬や大島の織りの着物が染めの着物よりも格下と見なされるのか。オレはそっちも納得行かんぞ。絶対に織りの方が手間がかかっているだろう』
気が付けば呉服屋的発言。
何せ、蚕から糸を紡いでから染色、絵付けまでえげつない行程を経ている。染色なんて、2週間かけて100回以上するとか…。
言いようも無く複雑で大変な行程だが、友禅に代表される染めの着物は普段着るものでないので仕方が無いとば仕方が無いのですが。
所謂、晴と穢の概念です。

展示品は久米島紬の小紋と、珍しい久米島紬の振袖を見ました。
…で、記念に久米島紬の名刺入れを…。
結構したけど、やっぱり正絹ものが欲しかったし。
下手に安いと綿の機械織りだしな。

ゆいまーるを後にした後は島内うろうろ。

風が驚く程冷たい。て、言うか強い。

海もこの荒れ模様。

寒い!車から降りたくない!
…でも終止車内遊戯はつまらなさすぎるし…。

と、行ったところで、ナビと地図を頼りに今度は久米島の天辺に行ってみたいと思う。

続きは次ページにて。

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