2009年WST京の歳時記特集。

初夏 木屋町三条編

ある5月の深夜、同僚と仕事上がりに遅くまで飲んで街をぶらついていたんだと思う。


この、木屋町に流れる高瀬川も結構な風情で気に入っています。

高瀬川を望んでオシャレなカフェがあります。

余りに風情があるのでこんなん涌いてきました。

同僚に隠れて撮っていたんだと思う。


光量条件が悪いのでこれ以上明るくするとノイズ塗れになります。

で、カフェが深夜まで営業していたので同僚と入ることに。

閉店前なのでガラガラです。


飲んだ後だし紅茶でも頼んでいたと思う。

人がいないからと、

また出たよ。
同僚がトイレに立った隙だったと思う。


本当に、隙があると撮っている。
撮りたくて仕方が無くて日頃持ち歩いていたんだと思う。

マイスと言うのは本来ならば企画があって持ち出すものなのに、常日頃から持ち歩いて隙があったら撮ろうとしていた訳です。

撮影計画も立てられないほど疲弊していて、それでも撮りたいと言う葛藤が見え隠れします。

ともあれ、

テーブルランプが幻想的でした。

…で、そんな時間まで三条いたので当然終電などある筈も無く、第二の我が家と称する職場から歩いて30秒のホテルに泊っていました。

でもチェックインは深夜1時半…。

あら、カノンも持ち歩いていたのね。
膝枕。
愚兄『…疲れたな弟よ…』
愚弟『疲れたな兄さん…』

で、何を思ったか、

愚弟『…何をするサガ!』
愚兄『…最近箱詰めでずっと退屈しておったのだ。…良いではないか』

こいつらの『良いではないか』の持つ意味は一つしか無い。

愚弟『血迷ったか愚兄!冗談は顔だけにせい!』
ここでサガ×カノンカップリングの誕生か?

勿論疲弊していたのでここでダウン。
…ブログにすらならなかったのが頷ける。

盛夏 祇園祭編

京都の一大ビッグイベントと言っても過言ではないと思う祇園祭。
まさに、京都の夏。
勤めていた会社でも、最強の売り上げ増収イベントとしてこの時期のために人員を増強、宵山の終了まで三週間休み無しのぶっ通しでまさに戦々恐々としておりました。
…ちなみに、普通の呉服屋は祇園祭出店期間中は休みます。

未だに私はあの会社での祇園祭前までを『戦前』、祇園祭後を『戦後』と呼んでいる。

7月になると四条のアーケードもこんな提灯が吊るされて否が応でもムードは高まる。
提灯仕様。

やはり、室町通りと言えば祇園祭では爆心地中心地。
会社の近くにいくつも山や鉾が立っており、7/11日〜に鉾建てが始まって、一帯の小路は殆どの車両が通行禁止になります。
運送会社が荷物を引き取りにくる時間も変わるので発送にえらい難儀したよ!

また、鉾建ての後は曵き初めと言うのがあります。建てた鉾を曵いて少しだけ動かすのです。
菊水の場合は菊水鉾町から四条通までです。
巨大な鉾が動く姿を見るのは初めてなので、ガラになく感動しました。
擬音囃子に合わせて動く巨大な鉾の姿は勇壮で鳥肌&感動ものです。

これも京都ならでは。

大通りに当たり前に鉾が居座る。
車は皆、当たり前に避けて通ります。

そして、

鉾と言えば提灯。

いよいよ宵々々山〜宵山の期間に入ると小路は終日車両通行禁止になり、朝から露天が並びます。
佐川・ヤマトの最終集荷が4時過ぎ。それを過ぎたら営業所まで走れ。
ともあれ、一帯は最早お祭りムード。
平日なのになあ。

お昼がてら、ずっと気になっていた鉾に行ってきました。

新町通りに存在する蟷螂山(とうろうやま)。

なんと、読んで字のごとし、本当にカマキリが乗っているのだ。

カマキリに乗っ取られた山。

結構リアルだ。
山全体が虫カゴに見えてしまう。

蟷螂山のトレードマーク。

結構ラブリー。

しかも蟷螂山はからくりカマキリ御神籤と言うものが存在するのだ!

何と、カマキリが御神託を運ぶのだ!

…やってみようかと思ったが、6人中4人が『大吉』だったので張り合いなさそうでやめました。
夜見たら凄まじい行列になっていたけど。

宵宵山からは四条と烏丸の交差点一帯が全面通行禁止の歩行者天国に。
そして、周囲一帯はびっしりと露天が並びます。
関西では天神祭に並ぶお祭りビッグイベントだと思う。

クライマックスを迎えてどんどん人が増えて行く。
おかげ様で内の会社も店頭売り上げ徹底強化の号令のもと、全員店頭に刈り出され浴衣を着て接客させられていました。
一方、ネットの顧客対応が全面ストップするので結構板挟みになっていました。
また、よりによって一番浴衣が売れる時期でもあり、お客さんが駆け込み需要だった時期でもある。
何と言われようが頑としてモニターに張り付いていたと思う、

いよいよ宵山。

…この日はお客様のもとに何としても荷物を届けねばならず、本日発送に間に合わせるため久世橋にあるヤマトの配送センターまで走っていました。
勿論、店頭の売り子の職務は一切放棄。
と、言うか今更いなくなっても気付かれない。

今思うと良い思い出だが、それにしても溜め息が出る。

店頭は毎日深夜12時まで営業。馬鹿みたいに値を崩して浴衣を売りまくり、その都度POPを作らされていました。
で、宵山の深夜、町内の人と一体になった祇園囃子と踊りで祇園祭は終了。最後にはビールやジュースが振舞われました。
深夜に移動式の鐘を持って町内を練り歩くのを見たのは初めてでした。

最終日は流石に燃え滓に。
終電で帰る元気も失ってホテルに宿泊。そこでくたばっていました。
ホテルのバスルームにて。
『しかも会社の金でだ』
…終電が無いのを不憫に思って出されたのです。
本当は会社に泊る気満々だったのだけどね。

…期間中、ずっとマイスを持ち歩いていたのか…。
物理的にも精神的にも撮影は不可能だと悟れよ…。
その証拠にカットは風呂場の一枚だけ。何がしたかったのか。

そして翌日は、

山鉾巡行です。
もちろん、仕事なので見に行くことは出来ません。
あの、青竹を敷いて豪快に辻を回す奴とか見たかったのだけど。

爆心中心地に身を置いていたと言うだけあって、本当に祇園祭のディープな側面まで体験出来ました。
同僚は祇園祭期間はしんどいが楽しいと言っていましたが、ネットショップを持たされている身としては、会社と顧客の板挟みで結構精神的に苦痛でした。
今となれば良い思い出ですが、ネットの売り上げをアテにする割に、ネットの顧客をないがしろにしすぎだと思う。

以上、祇園祭レポートでした。

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