WSTマイスin北大西洋諸国&北欧

ラダマンの故郷でもある念願のフェロー諸島に到着した管理人。
フェローを二泊三日で満喫するぞと意気込むも、結構波乱。
皆さん、現地の情報収集と、旅の計画は事前に綿密に練りましょう。
日本国内でもそうだが、海外で計画無しのフリープランも結構無謀です。

SKASIN要塞編

一夜明けて、朝。

何と朝から凄まじい風と雨だった。

普通に嵐。

ああこれがメイストリームと言う奴かと思いつつも、これがフェローでは平常運行なのかそれとも今日は荒天なのかさっぱりわからない。
何故わからないのかと言うと、携帯をネットに繋ぐのをサボったので現地の天気予報がわからないのだ。今の天気はわかっても今後晴れるのか一日こうのかさっぱりわからない。

別に取り立てて急ぐ用事も無いし、フリーなので朝ご飯を食べてダラダラしていた。

『土曜日はホテルの朝ご飯、遅くまでやってるねん』
11時ぐらいまでやっている。

その後はインフォメーションセンターに訪れて、400クローネで3日間乗り放題のバスのフリーパスは無いか訊いてみた。そしたら、港のバスターミナルで買えと言う。
なので、11時前ぐらいにバスターミナルへと赴いてみた。
…が、バスターミナルの中にチケットを売っていそうな場所は無い。フェリーカウンターに問い合わせてみるが、さっぱり的を得ない。何で的を得ないかと言うと、私に読解能力が無いからだ。
何のこっちゃわからんまま、取りあえずウチでは取り扱っていないと言われ、その代わりにバスとフェリーの時刻表を渡された。

バスの時刻表を見たところ、トシュバンから第二の都市クラクスヴィクまでの路線は一日に6本ある。
10:48分発のバスがあるしそれに乗ってクラクスヴィクへ行ってみよう、単純にもそう考えていた。
…が、ターミナルで待てど暮らせどそんなバスは来ない。
所詮は海外、アバウトなのかなとそこは諦めることにした。

11時を回って漸くバス登場。

が、運ちゃん何とバスの中を掃除し始めている。
遅れて来たとかそう言う気配ではない。10:48分の便など最初からなかった雰囲気だ。その理由は後にわかる。
で、運ちゃんに聞こうと思ったら、12:10にバスが出るからその時戻ってきやがれと言われた。
フリーチケットの件とそれが何処で手に入るのかを訊いたが、これもまたさっぱり的を得ない。
こっちの発音も悪いし、読解能力も無い。『はあ?何?何言うとんねん?』ぐらいの勢い。
さっぱり話にならないまま、一時間後に出発するであろうクラクスヴィク行きのバスを待つことにする。

ここでじっとバスを待つのもアレなので、トシュバンの町を見下ろす灯台に行ってみることにした。


石垣の上にある。

何とここは、第二次世界大戦中にイギリス軍が築いた要塞跡だそうな。

当時の速射砲が今も残っている。

目前に広がるは、

北大西洋の荒波。
速射砲とラダマンのショットを収めたかったが、風が強すぎて無理でした。

ここがイギリス軍の要塞跡であると言うことは、帰国後知りました。

第二次世界大戦中、ドイツがデンマークを占領したことを受け、軍事拠点としてフェローを占領したらしい。占領と言うか、駐留と言った方が近いかも知れん。
『因みにイギリス軍によるフェロー占領作戦はヴァレンタイン作戦と言うらしいな』
案外ハーピーの名前の由来はこれなのかもしれない。

駐留したイギリス軍と現地のフェロー人女性が結構結ばれたとも言います。

案外ラダマンって、父親がイギリス軍人だったりして。

要塞に容赦なく吹き付ける風と、叩き付けられる荒波。

流石は北大西洋。
どう見たってメイストリームなのだが、こんな雨の中現地のフェローっ子はカッパ着て歌いながら歩いていた。…そっか、こんなぐらいの嵐、なんてこと無いのか。
何でAPラダが台風や嵐の日のショットが多いのかわかった。こいつにとってこのぐらいの風、何でもないのか。

要塞の中にはこんな建物が。

てっきりフェローの伝統的な民家か何かかと思っていた。
なので、当時はここが要塞であるとはこれぽっちも思っていなかった。


要塞について4カ国語で書かれているが英語が読めんのでさっぱり。


うん、要塞と言うよりどう見てもフェローの民家だろ。
ラダマンガチでこんな家に住んでいそうだ。

で、そろそろクラクスヴィク行きのバスの時間だと思ったのだが、出発10分前にホテルにふと忘れ物をして取りに行っているうちに、バスを逃した。

暫く虚脱していたが、12:30にノルソイ行きの船が出るじゃんと思い、気を取り直してチケット購入。さっきフリーパスを巡って不毛な問い合わせをしていたが、チケットは乗船時に買うように、もうすぐ出航するから急いでゲートを出て右手の『TERMAN』と言う名の船に乗るようにと懇切丁寧に教えてくれた。
…が、この『TERMAN』を片仮名表記できないのでわかる通り、聞き取れない。
終いには付箋に船の名前を書いて教えてくれた。ありがとう!

出て右手に…。この船しか泊っていない…。
聞き取れない私のためにメモまでくれて、本当にスマン…。

で、いざ乗船。
船室には私の他に女の人が2,3人。乗務員に乗船代払おうと思ったら、『OK,OK』と笑ってやり過ごされた。…帰りの便で払うのかな…。
で、私がよう分からん東洋人なので、乗務員のオッサンは親切にも何時の便で帰るのかを訊いて来てくれた。
16時台の便で帰ると告げたところ、その便は無いと言われた。
でも時刻表には書いてあるじゃん。その後の18時の便はある。そして最終は20時。
明らかに時刻表の便よりも2便少ない…。
何でこんな事になっているか、慣れている方や賢明な方なら薄々気付いている筈。
ヒント:今日は土曜日。

で、いざ出航。

さて、この嵐でよく考えもせずに船に乗った訳であるが、予測通り凄まじい揺れ。大西洋の荒波を縫うように進んでいる。余りの揺れに当初は転覆するんじゃ無いかと危惧した。厨房からグラスの割れる音がして恐怖は2割増。

すると、先の船員が紙カップを配って回っていた。所謂ゲロ袋だ。
沖縄で結構ゲロ船に乗って来た経験からすると、揺れが始まってキツいのは最初の10分だけで、慣れてしまえば後は水平線を眺めることで乗り切れる。
なので、「私は大丈夫」と言ってゲロ袋を辞退し、水平線を見てやり過ごしていた。

余談だが、この10分間の法則と言うのが昔特命リサーチかあるある大辞典か何かでやっていて、人間高いところにいたりして恐怖を感じるのは最初の10分だけなんだそうな。その10分を越えると環境に順応するか麻痺して恐怖を覚えなくなるのだと言う。
実際、昔多良間島から宮古島に行く時に時化の影響で波が4mでており、最初の10分間はその揺れにこのまま2時間揺られるのかと泣きそうになったが、10分を越えたらまあ平気になって来た。それ以降はこの10分説を信じている。

トシュバンからノルソイ島までは約30分。

そうこうしているうちに島が近づいて来た。

島に近づくとノルソイ島が盾になって揺れはおさまって来る。

で、ノルソイ島に到着。

初めまして、ノルソイ島。

まずは必見ノルソイ島図。

何だろうこの既視感…。

ともあれ、あの蛙の背のような岩の上に登ってみたいのでそちらへと向かってみる。


ラダマイス、ノルソイ島に立つ。

フェローと言えば、

お馴染み羊。
沖縄の黒島は人口よりも牛の方が多いんじゃないかと思っていたが、フェローも然り、人口よりも羊の方が絶対多いんじゃ無いかと思う。

羊の島にて。

牧歌的雰囲気はラダマイスの方があるので牧場がよく似合う。

目前に聳えるのは要塞のような岩場。

何だか登れそうだし、登ってみたいと思うじゃん。

で、向かってみたらば、

石切り場みたいなところで足止めを喰った。残念。

何処にも通り抜けできる道は無かったので、諦めて港の方へと戻ってみる。


こちら港町。ノルソイ町と勝手に呼んでいた。


本当は、この辺りにハイキングコースが無いか、近くの地図を見て例の山へのアプローチ方法を検索していたのだけど度々行き止まりに当たって上手く行かない。


で、諦めて港へと戻って来た。

ノルソイ町を徘徊するラダマイス。

ノルソイ町と一言で行っても、日本の住宅街のそこかしこに番地や所在地の看板があるのと同様、ここの住宅街もあちこちの所在地の看板が張ってあった。無論、全く読めない。
何かギリシャ語の方がまだ取っ付きがあった気がする。

典型的な離島の住宅街。
お土産物屋さん思しき店は一軒あったがやっぱり閉まっていた…。

北欧、北大西洋諸国あるあるの赤い壁に白い窓枠の家だが、間近で見ると壁がトタンのような材質でできている家もあった。遠目に見たら可愛いが、近くから見たら結構がっかりする。
これも、現地でしかわからない光景。

典型的北大西洋諸国離島の住宅街。

『…なんやろうこの既視感…』
結構離島に訪れたことがあるからかも知れない。

港を見下ろす。

対岸に見えるのがトシュバンの街だ。

出航までまだまだ時間があるので住宅街の向こうに行ってみる。

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